関西弁キャラがいる限り差別なんてなくならない。

始めまして。

エンジニア4年生となり、「はてブ」で色々情報収集しつつ、自分も情報発信できるエンジニアになりたい、とブログを開設して一か月。

初めての更新物は全然エンジニアと関係ない話です。

ただ、すごくモヤモヤしていることがあって、これはちゃんと形にして見てもらいたいなという気持ちがあり、記事にしました。

 

早速本題に入りますが、結論は記事のタイトル、そのままとなっております。

私は大学入学後、(その前からも書いてはいましたが)部活に入った影響もあり小説を書くようになりました。自分で作品を書くようになるとわかるのですが、キャラクターへのキャラ付けが難しく、どうしたら差別化できるかな、ということを悩むことがあったりして、中々大変だということを実感しました。

 

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ちょうど上記の記事を読み、また、記事にかかわるツイッターのコメントなんかをちらっと見たりしたのですが、やっぱり「いやいや、結局LGBT差別してるやん」というコメントが見受けられて、「まあそうなるか」という気持ちになりました。

私自身は今、別に誰が誰を好きになろうと特に意識はしていなくて、そういうことが当たり前になることは良いことじゃないのかな、と思っています。

一方で、同性愛を受け入れられない人がいるのも事実だと思っています。常識が覆った時、それを受け入れることが出来るかと言われたら、私は素直に首肯出来る自身がありません。

むしろこの記事の中でも書かれていましたが、問題なのはその手の人たちに対して「誤解を与える」発信をしてしまっていることであります。ゲイは男に性的な興味しかない、みたいな。いやいや、そんなことないだろ、と私は言えますが、実際はそうではないですよね。

ただ、冬クールにフジテレビ系で放映されていた「隣の家族は青く見える」を筆頭に、年々LGBTを丁寧に扱った作品は増えているのは事実です。そのため、時間はかかるかもしれませんが、日本でもLGBT差別の意識が薄れていく日は、そう遠くないような気がしています。

 

一方で、私の中で「これは差別的だ!」と声高らかに言える自信のある属性が一つあります。

それが「関西弁キャラ」の存在です。

比較的大衆向け作品に、オカマっぽいキャラと並んで一人はいる、主人公の噛ませ犬ポジションやライバルとは程遠い敵としてのポジションで登場する、好感度の上がり目が見込めない関西弁キャラ

これ、関西系以外の人が見たら、きっと「そういうキャラ」って思うはずです。

私は、関西弁でガサツだったり、倹約家なキャラが居たらげんなりします。ああ、またこのパターンかと。

悲しかったのは、私が好きだったある作家さんの小説に、そういう関西弁のガサツなキャラクターが出てきたときです。ああ、この人も関西人をそう扱うんだ、と。

 

まず問いたいのは、あなたの職場に、ないしは友達に関西人で、ああいうキャラクターの人が本当にいますか?ということです。

(たまに、いるって言われることがあるので、もうそうなると何とも言えないのですが)

そして、LGBT差別をなくせ、って言ってる人に同じ質問をしたとき「関西人差別ってどう思いますか」って聞いてみたいです。実測値はないので憶測、及び先入観ですが、一定数の人は絶対言ってしまうと思います。

「関西人って、そういう性格の人が多いんじゃないの?」

ヒョウ柄着たおばちゃんが見境なく人に声をかけ、

みんながみんな阪神ファンで好きな食べ物はお好み焼きかたこ焼き、

お金にうるさくてとにかく人のためにお金を使おうとしない、

主人公や仲間のことを考えずどこか自分中心的……そう見せかけて実は仲間想いみたいな、わかりやすいギャップ。

 

そういうのやめません?あれ、誰が得してるんです?

ドラマを、アニメを見てくださいよ。貴方の好きな俳優さんと声優さんの出身地。ないしは主題歌歌ってる歌手の方の出身地。関西の方って、そういう人たちばかりです?

わかってるはずなんです、そういう人たちばっかりじゃないって。

でも、こういうこと言われないから、逃げてるだけですよね。

関西弁しゃべったからいじめられました。だから関西弁差別やめてください、って声高らかにいう人見たことないですもんね。関西人差別で苦しいので自殺しました。って人見たことないですもんね。いるかもしれないのに。

 

主語が大きいのは好きじゃないんですが、これは言えるかなと思うのがいくつかあって、日本は「関西人」とか「お金持ち」とか「才能がある人」とか、嫌なキャラに見せられるテンプレートを用意しすぎなんじゃないか、と思うことがあります。

特に「お金持ち」なんて絶対悪として描かれるじゃないですか。大体、何かしらの陰謀に絡んでいて、その動機も「自分の地位を守るため」とか、理解できるけども短絡的な動機だったりして。

私からすると、発信する側のメディアがテンプレートを許可していることが気持ち悪いんです。自分たちへのアンチテーゼなんですかね。金持ちは性格悪いよって。日本じゃアイアンマンみたいな話絶対書けないですもんね。書かせてもらえないですもんね。

そして、そのテンプレートの一つに「オカマキャラ」というのがいて、最近たまたま「それは差別だ」と言われたから、「そういうキャラクターを扱うのは慎重になりましょう」ってなっているだけですよね。

こんなんじゃ絶対、LGBT差別を訴えている人たちの、根源的な解決なんて見込めるはずがないです。だって、自分たちの固定概念を疑っているわけじゃないですから。

 

最後に。

言いたいことをばーっと書いちゃいましたが、とはいえ「キャラ付け」は大事で、関西人の特性として阪神ファンだとやっぱり親しみやすく、お金持ちが敵として描かれたら色々やってくれそうだって期待も持てますし、才能持ちのライバルが性格悪いと、主人公が彼を超えた時のカタルシスは半端ないと、実際思います。

ただ、それがすべてではなく、なんなら真実じゃないんです。

でも、気付いたら私たちは、それを真実のように信じてしまったりするのです。

今、日本は文化的鎖国をようやく解放し、もうワンステップ進化をする日が近付いている時期と考えています。

そんな日々に、こと、ものを書く人に問いたいのは、各々が持っている固定概念が真実かどうかを、ちゃんと自分に問えているか、ということです。

いつか関西弁キャラみたいな、変なキャラ付けがなくなっていく日を願って……。