自分にとって大事なことってなんだろうか
社会人5年目。
サーバーサイドエンジニア。
3年前の9月に鬱病を発症。
半年の休職を経て転職。
PHP5技術者認定準上級試験合格。
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自分の職歴。
鬱病と診断された時の記憶はほぼ覚えていないけど、休職中に恐れていたのは、「このまま社会復帰出来なかったらどうしよう」ということだった。
半年での復職。当時通院していたお医者さんからは「末期ガンが治ったレベルの回復力だと認識していてください」と言われ、その時初めて、僕の病状は芳しくないものであることを思い知った。
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この2年半は、がむしゃらだった。この社会で生きていくためには、働けること、信じてもらえること、頼りにしてもらえること。それが必要だと思って、必死になってきた、つもりだった。
でも、たまに思うことがある。
働けることはそんなに大事なことなのか。
信じてもらえることは、僕にとって何をプラスにしてくれるのか。
頼られることは、便利屋扱いされることと同義ではないのか。
辛いことは辛いと言えるようになったつもりが、どうやらそうでもないことにも気付き始め。
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わかってきたこと。
エンジニアとしては、新しい技術への関心が何もないという、致命的なことがわかってきた。むしろ、技術に興味はないけどないなりに努力はしてる。してるつもり。
人には興味がある。困った人は助けたい。でも、先入観が強すぎて、意見が合わない人を敵扱いする癖がある。
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今の自分が劇的に成長し、エンジニアとして一本立ちする未来は見えないし、マネジメントするにも精神的に幼く、かつ耐性の薄い自分がどこまで耐えきれるのかと。
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とはいえ一つ、僕が「在りたい」姿はあって。
同じ境遇に遭っている人を受け入れたい、そう思う。
それがある種僕の正義、みたいなものであり。僕は一度死にかけたところから、周りの人に助けられて今があり。その経験が、僕をそう思わせているわけで。
そうなると、僕がやりたいことはいよいよ、プログラムを書くことではないのかもしれない。ごめんね今の会社。でも気付いたから辞めるなんてことはしない。多分この業界にはそうやって病んでる人がたくさんいるから、今の業界に居続けるのがちょうどいいのかもしれないし。
僕自身もそう。みんな不安に押しつぶされないよう頑張るけど、他人に対しては正論を振りかざす。ただ、相手との議論なら、致し方ないかなと思う。
問題は、弱っている人間に正論を突きつけること。僕もやってしまう。僕はこうだった。あなたも出来るよと。でも、この時の「あなた」は大抵、僕の経験なんて求めてない。今を脱出するために必死なんだ。それが周りに伝わっていなかったとしても。
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5年経って今、自分がどうありたいか。
僕が新しい技術への取り組みを見せるとしたら、それは何かを作りたいからではなく、自分の立場を上げるために必要だから、になるかもしれない。僕にとってエンジニアという職は、自分の目的を達成するための手段、にあたるだろう。
だから、自分に告げる。そんなに自分が技術へ興味ないことを責めないでほしい。仕方ないよ、昔から人と話すこと、自分の意見を伝えることに興味はあった。でも、プログラムなんて楽しいと思ったこと全然ないでしょ?それに生きるためにやってるところもあるでしょ?それで上を上を目指すのってきついよね。
だから、好きでもないものを好きになろうとするやり方で取り組むのはやめよう?
自分らしく、とはいかなくとも、自分のやりたいようにやろうよ。
せっかく生きてるんだもん。助けてもらったんだもん。生きようよ、自分。
ちょっと最近ナーバスだったので、自分の状況をまとめてみた。
でも、おんなじ境遇の人が居たら、その人もちょっと、救われてほしい。自分のこと、そんなに「すごく」設定しなくていいよ、って。