説教TLになるのがめんどくさいオタク

いわゆる、社会的なメッセージを発信する人というのは、この世の中に一定数いるわけで。政治・外交・経済・倫理……それはそれはいろいろと。

 

20代前半……大学生の頃は、僕もそんな感じでした。当時の僕は「テレビや新聞のニュースは事実を歪曲して伝えている!正しいニュースはこっち!」という感覚でRT・シェアをしていました。当時のゼミの先生に怒られたこともあったなあ、と。

 

今。そういうのは面倒になって、自分からは極力しないようにしました。仕事頑張って、自分の時間が出来て、好きな絵師さんや芸能人の方のツイートをチェックしてリラックス……という時間に、「アベガー」とかRTで流れてくるのが本当に嫌で。(安倍首相応援してるからそういうの見たくないっていうのではなく、ただただ赤の他人の批判ツイートを見るのが嫌)

 

少なくとも、当時の自分には「どう見られているか」という視点はなかったのです。もちろん、今も成人向けのツイートを平然としますし、批判は嫌と言いながら面白くない作品を「面白くなかった」とバッサリ斬ることはあります。ただ、センシティブな問題をSNS、ことツイッターでするのは合理的でないと判断するようになりました。

 

140文字で物事を伝えるのって、結構無理があると思うんです。こうしてブログで書いてても、思いがちゃんと伝えられないことなんて山ほどあるのに。それに、Twitterは双方向のコミュニケーションツールではないので、自分の投げた球が誰かにとっての「致命傷」になりかねないんです。

 

僕の場合、過剰な「鬱病患者擁護」のRTとかが苦しかった。自分がわかってるんです。歯止めが利かなくなり、無理して仕事をして、結果仕事が出来なくなる虚しさを。なのに「鬱にさせた社会が悪い」みたいな風潮が流れてくると、ひねくれているのもあってか「社会のせいに出来る視点をもってる私ちゃんとしてるでしょう?」というアピールにしか見えなかったんです。

 

今はリスト化したり、RTは極力流さないよう設定したりして、平穏なTLを心がけています。お陰様で、SNSを通じて心がささくれ立つことは、少なくなりました。

 

気楽な場所にしたい。SNS。ドスケベなことだけ呟きたい。